AIイラストを許すな

良いイラストというものを綺麗な写真と同等に扱うな。

イラストの画力と呼ばれるものは描く人の、絵に対してのリスペクトが現れている事を理解すべきだ。

AIイラストはその間違いない評価の基準を崩す最低な行為だ。

イラストが下手と感じる特徴って、目がやたら平面に感じたり妙に近かったりすると思うんだけど、それって能力云々では無く単純に良い絵のインプットとアウトプットが不足してるだけなんだよね。

作家さんの絵を見て「良いな。こんな絵が描きたいな」となった時にするのは模写なんだよ。

模写はやった事ある人なら分かると思うんだけど時間がかかるんだ。それも正確にしようとすればするほど。

時間という対価を払い続けて画力というものは身につくんだよ。

それをワンクリックで画力をAIにコピーさせて貼り付けてAI“絵師“だ?

笑わせんな。

悲しいことに俺はAI絵師()の登場で手書きの作家の絵に対しての熱量を感じとりにくくなっている。
AIだということを隠す不届きものがいるからだ。

だからまず俺は良い絵だなと思った後タグとプロフィール欄でAIと描かれているかチェックしてふぁぼりつするか判断している。

あと怪しければ過去ツイ見ていつから描いてるか画力が不自然に向上していないかも見ている。

ダルいわ。

もっと感覚的にイラストの熱意を感じて、心動きたいよ。

だからさ、AIイラストなんかつくるのやめて一緒に絵を好きでいようよ。

童貞プライド革命

童貞を失う。それは世間一般的にはステータスかのように思われているが実は違う。童貞を失う、それはすなわち狭小な人間に収まる儀式に過ぎないのである。

噛み砕いて説明しよう。まず童貞を失うプロセスというのは1人の女性に恋をし、その恋心を受け止められる事で成立する。それは実のところ1人の女性を知ったに過ぎないのである。

それを知って何になるのか。女性というのは地球上に星の数ほど居て、その1人1人が掛け替えの無い魅力を抱えているのである。

それにも関わらず1人に絞り、時間を割く。これは非常に非効率的ではないだろうか?

童貞にできること、

いや道程にしかできないこと

それは女性に対する無限のリスペクトの可能性を抱き続ける事だ。

その幻想を、形にし、表現する事。

それは1をしって全部知った気の脱童貞くんには到底出来ない、なし得ない、かけがえの無い尊い表現であると私は考える。

無限の可能性を持ちし者。

それが

“童貞“

生存確認←これネット上で無限に無名が見つかる魔法の言葉

オッスオラ悟空。って事で久々にこのブログの存在を思い出したので更新することにしたお。

大体一年前くらいの闇期のブログな訳だが、まあ大体変わってない。打ち込めることができたからうまくいけば不安が無くなるだろうという感じで生きてる。なので今はまだ不安な段階。打ち込める事ができた事で気づいた事が一つある。俺は自分に厳しい。具体的に言うと息抜きが出来なくなる。やるべき事を疎かにして他の事に目を向ける事ができない。罪悪感で押し潰されそうになる。かといって打ち込み続ける事は難しい。なぜなら俺は誰にも期待されていないゆえ自由なので嫌いになればいつでも辞めれるのだ。しかし辞めた先になにがあるわけでもない。辞める時は漠然とした将来の展望が見えてるだろうが焦点を合わせれば何もない事に気づくだろう。そもそも好きなものを嫌いになったら本末転倒もいいところだ。

まあ要するにダラ〜っと続ける事が難しい性格なのである。しかしこのままいくと進む先勝っても負けても地獄なので、ダラ〜を擬似的に作り出す必要がある。それが一つの事に集中。を何個かのコンテンツに分けるという事。それがいいと思う。これからそうしていく事にした。

思考まとまってない状態で書いたので乱雑になってると思いますが、ここまで読んでくれた方ありがとーごぜーます。

卒業式

緊張の原因は期待からくるもの(学校としては印象を良くしたい)

会場まで用意されたらその期待の瘴気を感じざるを得ない。

なのにも関わらず返事すらしないカッコつけてる生徒が多くいた。高身長イケメンだから許されるんだろうな(許せない)

返事すらしない生徒は脊髄が抜かれてるのか体幹がフラフラだった。

通信高校通ってた時に通りすがりの高校生が言ってた「中学生レベルの知能の奴ら」って言葉が脳に焼き付いて離れない。

通信高校通ってた時に通りすがりの高校生が言ってた「中学生レベルの知能の奴ら」って言葉が脳に焼き付いて離れない。

まず勉強をしなかった言い訳をさせて貰うと、ロックの教育論では学習を楽しませる工夫が必要とあるんだけれど、俺の家庭では当然そんな教育は施してもらってないわけで、中学の頃は塾に入れられたんだけど、それがとにかく苦痛で、結果を出せば塾通いは良いものだと認識されるのを恐れて一切頭に入れなかった。勉強は失敗から何が間違えている原因なのかを考えることが理解を深めるもっともいい方法だと思っているんだけど、失敗を繰り返すほど勉強に対するモチベーションが高くなかった。何故モチベが高く無いかと言うと大嫌いな父が偏差値主義者で勉強をとにかく強いてきた事による嫌悪感から。

ここまで書いても「中学生レベルの知能の奴ら」という事実からは逃れられない。俺は別の道を行くしか無い。

子供を産む責任

小一の頃、ゲーム買ってもらえなかった腹いせで布団の上にゲームカセット投げつけただけで父が鬼の形相で怒り狂い僕の髪を引っ張り引きづり回した挙句夜の公園で何故か走らされた。

小二の頃に離婚して母子家庭の一人っ子になったんだけどそれを嘆く度に

「あのお父さんと一緒にいたかったのね。はいはい」

とあしらわれたが、何故無関係な面をできるのだろうか?そもそもは産んだ親の責任だろと思う。

そんな事から、貧乏だけど一生懸命働いてくれた親。みたいな美談にはいまいち感動出来ずにいます。子供を産む責任。

のんのんびより クリスマス

12月24日。越谷家にてクリスマス会が開かれた。

 

れんちょんより一足先についたほたるんは夏美と小鞠と共に

折り紙の輪飾りを壁に飾り付けていた。
その際夏美が発した「お姉ちゃんたら去年までサンタの存在
本気で信じてたんだよ」という会話を折り悪く訪れたれんち
ょんに聞かれてしまう。
食事中も浮かない顔をしているれんちょんの機嫌を直すため
サンタの衣装をれんちょんに内緒で倉庫に取りに行く3人。
れんちょんは3人が急にいなくなったことを不思議がり、外に
出た。するとちょうど返り血で真っ赤に染まった白いひげを蓄
えたマタギが現れ、「サンタさんいたのーん!」と叫ぶ。れん

ちょんの叫び声につられサンタの衣装を着た3人が倉庫から現れ、
「サンタさんこんなにいるん…?」とれんちょんが呟き、楽しい
クリスマス会は幕を閉じた。