曖昧
教師は暴力的な人だったけど、嫌いかといえばそうでも無い。コミュ力の高さや、知識の高さにはリスペクトを持つ。白か黒かはっきりさせれるものでは無いんだよね。
死に対する考え方も複雑で、生きているだけでお金がかかる。そして生きる為にお金を稼ぐというのがとても大変というか苦痛を伴う。
となると理屈で言えば死。というのは悲観的じゃ無いはずなんだけど。
自殺をした人が生前残した楽しそうなビデオであったり記録を見ると、心が抉られるというか、哀しみというか。生きていて欲しいと無責任ながら思ってしまう。脊髄反射的に。ふと。
複雑というか、曖昧なんだよね。
無理解と理解の使い分けは生きていく上で必須だと思うし、この混沌(カオス)を上手く乗りこなすのが人生というゲームの本質。
曖昧を愛そう。
曖昧ME。え!?あいまいみーってそういう事!?
わんぶたの視聴者は病んでる?
わんぶた。もといすあだ作品は非常に荒削りだと思う。けして悪い意味ではなく、創作というものの原始的な、根源的な部分を発信し続けていると思うんだ。そしてそれをキャッチできる人というのは同じ価値観をもっている人が多いんだと思う。
要するに自分の世界をもってるんだけど、商業向けにそれを転換することがむずかしい人。
すあださんはそういう人たちのよりどころになっている部分が大いにあると思う。
総括すると商業的に合わせずに大成できる人はごく少数なので、わんぶたの視聴者の大半は病んでると考えて良い。
雨宮さんを読んだ。
「好き」がテーマになっているこの作品。
色んな好きが描かれている。でもそれがなぜ好きなのかは明言されない。
言葉に起こすのが無粋である事は100も承知なのだが、伝えたい事があるので書く。
自分が思うに、貴族になったような気分。人の喜びの要素である模範に浸っているのが好きなのだと解釈している。非生産的な自己満足、ナルシズムで括られるものだ。人生を楽しむ為には不可欠なものなんだけれど。
そして、27話。物語が大きく動く。
自己満足、ナルシズム。から始めた創作が、人の目に初めて晒される。そうなるとこの価値観は非常に脆いもので、とても怖く、怯え、 つい周りと比べてしまい、苦難してしまう。だが雨宮さんは周りと比べるのをやめ、自分と向き合う事で、表現をブラッシュアップする事ができて、成長したんだ。この成長というのは、あくまで内的なビルドではある。すごい!みたいなのを言われる感じじゃなかったし。対価とかじゃなくて、あくまで外側にも意識を向けるという試み自体が素晴らしいということ。
この27話のタイトルは芽吹き。自己満足から、表現の命が芽吹いたんだ。
スマート。
絵がめちゃかわいくて洗練されてるし、あえて曖昧にされている所があるから、つい本質的な部分を避けてしまいそうになるけど、重要な部分だと思ったので書いた。
この文学性とアートとギャグが入り混じって一言では語れないものになっているファジーさがたまらない。ぜひ漫画を読んでくれ。
労働に対しての考え
嫌な夢を見た。与えられた仕事ができず、「新しい人いれたいから早く辞めろ」と言われた。僕はヘラヘラして誤魔化したが内心穏やかでは無かった。
まあ夢なんだけど、社員からはこう思われていても不思議では無い。直接的に言うと問題になるから言わないだけなんだろう。
でも俺はこれに対して思うところがある。
それは労働というのは楽しく人生を過ごすという人間の基本的な目標と必ずしも密接しているものでは無いという事だ。
労働のメリットはもちろん理解している。一番のメリットはなんといっても貧困と孤独からの解放だろう。まず給料で貧困を脱して、そして異性と付き合う最低条件を確保する。これはメリットだと思う。労働も人と何かを共同で行うものであるからして、孤独を感じずらくなるというメリットもあると理解している。
だが、俺はそれに異を唱える。
その労働でのメリットは、言うなれば他人任せな事なんだ。幸せを他人に任せている状態。
そんなのより俺は、自己満足でもナルシズムでも自分で幸せを定義した方が、人生というものを楽しむための確固となる指標になりえると考える。
今はネットが発達していて、数字に囚われて、自分の心でさえアウトソーシングされている時代だから、そこが不安定になっていると思うが、社会に不満を抱えている人達は是非そのコントロールを意識して自分の心と向き合ってもらいたい。
自分の価値観でいうと、労働をすることこそが幸せに繋がる。という固定観念は無意味。価値観の違いで視点が変わるものと理解すべき。これを無視する人間は話にならないと心に留めとこう。
それに一番生きていて楽しかった頃というのは大体学生。労働に縛られていない頃だろう。
暇。労働に縛られていない時間。暇を愛しなさい。
0.5の男を5分で切った男
すいません。映像作品を5分で切ったなんて愚かな行為だとは重々承知しているのですが、まぁ日記ってそんなもんじゃん。お前だって友人の本棚にしまってある日記勝手に読むじゃん。漫画読もうかなぁって探したついでなら尚心理的ハードルも下がって、ついでにって感じで読み進めるじゃん。どうせ。バレないなら。
うっせぇな。
という事で話を戻して、0.5の男。
40の引きこもりが題材だから気合いを入れて見たんだよね。そしたら、その引きこもりがテレビを見て笑っているところからスタート。
そして親の登場。もう一度言う。親が階段を降りてきて登場。く、くる...!
そう思っていたら、普通の家族のような「何みて笑ってたの?」なんて会話が始まった。は?
そして父親。軽い運動をして「お前もやるか?」なんて。で「俺はいい、朝日浴びると溶けちゃうから」お咎めなし。
ふざけんなよ。
で、部屋に戻ってゲーム。
ディスコード繋いで和気あいあいとしながら配信にのせてゲームをしていて、人も集まっていた。
はい。無理。
おとぎ話ですか?これは。引きこもりを題材にしててさ、しかもヒューマンドラマとかタグ付けされてんじゃん。で、これか。無理。
人それぞれある価値観と社会との軋轢。
それに伴う押しつぶされそうな孤独と不安。
引きこもりならこれがあるでしょうよ、それが無いから見ていて逆に孤独を強く感じた。
俺は今引きこもっているわけでは無いが、人それぞれある価値観というのは大事にしていて、それに対して苦悶している人間を見せてくれた方が、真っ当だし、人それぞれ抱えている孤独を癒すものになると思うんだよ。
それをなんだ、みんな優しくて心温まるだぁ?
ざっけんな。テーマ変えろよじゃあ。
製作者側は、傷つけようなんて意思が一切無いんだろうというのも、寂しい。
俺は無力だ。
最近書いた文章の要約
寝て起きて目が覚めたら、友達家族はそこにはいない。雛鳥は口を開けたまま季節が巡る。
皆んな巣立って僕は一人きり。昔いれてた曲を新しいウォークマンに入れ直す。夢と同じ。昔から変わらない音。そんな君が僕を癒す。でも寝る事すらいやになる。産まれたからには飛んでいたい。みんなと違う景色でも。1人でも。餌が上手に取れなくても。産まれたから。自然な姿で、生きていきたい。
本能とかいうオワコン
生まれてきた理由などを人間は漠然と考えてしまうが、視点を変えてみよう。
知覚があり触覚があり嗅覚、視覚、聴覚がある作られた存在。
工業製品に例えてみよう。作られたは良いものの時の流れで使われなくなったものなどがあるだろう。
人間というのは社会で生きる人間であるから、人達に必要とされる製品。されない製品が必然的に産まれる。されない製品に分類された人間にも脳があるからなぜ生まれたのかの疑問を反芻し苦悩する。
人達のニーズというのは進歩や環境などで変化していくもの。
だが製品と人間は違い、脳を使いニーズに合わせて変化していく事ができる。
ややこしくしているのは人間には変化を恐れる本能がある。危険を避け、安全を確保する為の本能。
本能を制御し変化していくのが、人間。製品として優れる為に必要だと考える。
とはいえ人間には相反する価値観というのも存在する。例えば、的確に配置されたリスクリターンの使い分けを楽しんでいる格ゲーマーがいれば、その反対に永久コンボやハメといった駆け引き自体は極端なもので重要視しておらず、手元の的確な操作ができるかどうかにカタルシスを感じる人間がいたりもする。
価値観。つまり楽しさを基準に考える事が大事。本質を捉えて、需要できると感じたら継続してきた落ち目のコンテンツを切り捨ててまでも、移り変わっていく必要がある。
理屈はそうなるのが理想なのだけど、実行できるかは分からない。愛着というか不安を感じやすい体質なのかも知れない。徐々に慣れていく物なのかな。